カン助 そして大人になれなかった雛たちへ
以前撮りためた写真を見ていたら、一枚の写真の日付がふと目に留まりました。
2013年11月12日。空松が生まれた日です。
その翌日の13日にはツナ松が、14日にはイッチョと秋児が生まれ(この二人は両親が違うので同日生まれです)、一日あけて16日に、五番目の五松が生まれたのでした。
この子たちの誕生日が、もうすぐ来ます。あれから2年も経ったなんて、信じられないような、不思議な気分です。どうせ今回も無精卵か中止卵ばかりで、雛なんか孵るわけがないなんて、全く期待していなかった分、小さな肉の塊が巣箱の中でぎこちなく動いているのを見た時は、びっくりしてバアチャン、オイオイ泣いて喜びました。
2年前の空松とツナ松です。
こちらはイッチョと秋児。
左側の大きな子は秋児。うつむき加減のおチビは、2年前の五松です。
ツナ松と
イッチョ。挿し餌を食べ終わると、バアチャンの手の中で眠っていた頃です。
一昨年の冬は、バアチャンは殆ど何処へも出かけずに、4時間おきに雛たちに挿し餌を食べさせていました。この後、勇者とおう、椿とウグイスも生まれてきたので、年が明けて2014年の2月いっぱいくらいまでは、ずーっと挿し餌バアチャンやっていました。
ウグイスが生まれる前の五松は、中々他のきょうだいと馴染めずに、バアチャンが一番の友達でした。
こんな懐かしい一枚も出て来ました。五松を無事に育て終わった直後の、母てつと父カン助です。育ての親とはいえ、本当にこの子たちの深い愛情と献身的な子育てのおかげで、五松はたくましく成長しました。あの消え入りそうだった小さな命が、この二人のおかげで救われたのです。
悲しみをぶり返すようで書けなかったけれど、先月はカン助の命日がありました。
11月に入った途端に、季節が一か月先へ行ってしまったような寒い一日でした。バアチャンの部屋にも遂にこたつを出して、鳥部屋にも今年初めて暖房を入れました。
外は寒くても、家の中にはこんなに愛おしい命がたくさんあって、毎日賑やかで温かです。
でも今、この家にいない命もあります。救えなかった命。カン助、そして、成鳥になることなく、生まれてわずか数日でお★さまになってしまった3羽の雛たち。それよりもっと前にこの家で一緒に暮らしていた子たちのことも、勿論忘れることはありません。ハル子、ハジメ、楽(ガク)、ミカ・・。消えてゆく命があって、生まれてくる命がありました。命の尊さを小鳥たちから教わったと、わたしは以前書きましたが、命の不思議もまた、思うことがあります。不思議というか、生きていること自体が実は奇跡なんだな、と。命はとても危うくて、いつ消えるか分からないんだと、そう思うことがあります。
それは動物も人も同じです。
こんなことを思うのは、昨日たまたま部屋の片づけをしていた時に、わたしの亡くなった両親のわずかな遺品が偶然出てきたからかも知れません。父の腕時計と、母の金のネックレス。或いは昨夜、中学生の自殺のニューズを見たせいかも知れません。テレビを見ながら、心に鉛玉が落ちてきました。
話がそれました。昨日の冷たい雨も止んで今日はまた晴れ間が戻ってくるみたいです。孫っ子たちの誕生日を祝う前に、朝になったら久しぶりにカン助や、育つことなく天国へ行ってしまったカン助の雛たちのお墓参りをしてこようと思います。今ここにある命も、もうここにない命も、命の重さは皆同じです。