ハル子という小鳥
2005年の冬、ルリコシボタンインコを一羽、ショップからお迎えしました。
2月の寒い日で、暦の上では確か、大寒でした。
みぞれまじりの中、自転車の前かごにヒナが入った小さな段ボール箱を入れて、大急ぎで家に帰ったのを覚えています。
その小鳥との出会いは真冬だったけれど、春が待ち遠しい季節だったので、ハルと名付けました。のちにそのヒナが女の子だと分かり、ハル子と呼ぶようになりました。
まだボタンインコと暮らし始めて間もない頃で、わたしは挿し餌のあげ方も下手でした。それでもショップのおじさんに教わった通り、毎日4~5回挿し餌をして育てました。
ハル子が家に来て2日目に、わたしはインフルエンザにかかりました。
40度の熱が出て、身体中が軋んで痛みました。
病院に行く体力すらなかったわたしは、小さなハル子に風邪を移したらどうしようと、そればかり心配していました。
挿し餌の時間はいつも、わたしはマスクをつけて、お腹を空かしたハル子に餌を与え続けました。
インフルエンザをこじらせて、軽い肺炎も起こしていたわたしは、挿し餌の時間以外はずっと布団の中で寝ていました。当時、枕元のラジオから、バチカンで元ヨハネパウロ2世が病に伏しているというニューズが毎日流れていました。その頃、法王も重い肺炎を患っていました。法王のそれは、生命の危機に陥る程重篤なものでした。わたしには信仰する宗教も何もないけれど、肺炎を患っているというその一点だけで「今のわたしと同じだ」と、苦しいのはわたしだけじゃないんだと、慰められるような、励まされるような、何とも不思議な気持で、ぼんやりとラジオに耳を傾けていたのを覚えています。
布団から起き上がれるようになるまで丸一か月かかりました。2月も終わりに近づいた頃、わたしは体重が9キロ落ちていました。そんなわたしとは裏腹に、ハル子は元気に、大きく成長していきました。
当時我が家には、大ちゃんと、セネガルパロットのゴンちゃんの2羽しかいませんでした。小さなハル子はよく、ゴンちゃんのケージにヨチヨチと歩いて行きました。身体の大きなゴンちゃんに、ハル子はたいそう興味を示していました。性格の大人しいゴンちゃんは、目をギョロギョロさせて、首を傾げながら、ちっちゃなハル子を歓迎してくれているようでした。
その後、ゴンちゃんはハル子の鳴き真似を始めます。ゴンちゃんは物まね上手なのですが、ハル子がお★さまになって4年が経った今も、「ゴンちゃん、ハル子は?」と聞くと、いつもハル子の鳴き真似をしてくれます。
オクテで内気な大ちゃんが、ハル子に恋をしました。
ハル子に近づきたくても、大ちゃんは中々勇気が出ないみたいです笑
ハル子に思いを伝えられない内気な大ちゃん。
わたしに八つ当たりをすることもしばしば笑
ハル子と大ちゃんのお見合いは暫く続きました。でも2005年のクリスマスの頃には、2羽は仲の良いつがいになりました。
以来ハル子と大ちゃんは、我が家で一番のおしどり夫婦になりました。
新しい家族が増えて
この家はどんどん賑やかになっていきました。
一度に4羽のきょうだい(血縁はないけれど)をお迎えしたこともありました。
この時ハル子は新しい友達が出来たことを、とても喜んでいました。
最初にわたしの手から餌を食べるのは、いつもハル子でした。
おっとり屋でツンデレで、色んな表情を見せてくれたハル子。
臆病者のナツも加わり
ハジメもこの通り、元気でした。
ハジメは仰向けになって寝る癖があったのですが、初めて見た時は死んでいるのかと思ってビックリしました!笑
物静かでやさしい大ちゃんと
おてんばのハル子。
ハル子は、わたしが持っていないものを全て持っているような女の子でした。ハル子の奔放さや、強さ、やさしさ。そういったものは、いつもわたしの憧れでした。
わたしはハル子と出会った頃、重度の摂食障害を患っていました。
母の死や、家族観の問題が心の負担となって、わたしはPTSDを発症し、その後うつになりました。うつの終わりが見えかけてきた頃、摂食障害も克服して、やっと新しい人生を踏み出せると喜んでいた矢先に、今度は線維筋痛症という難病を罹患しました。それが原因でわたしはうつを再発。過去にあった家族間の不幸は、克服出来ました。けれど今度は、全身を絶え間なく襲う原因不明の激痛が、わたしの心を弱くしました。
心の治療は今も続いているのですが、ハル子と出会えたことで、わたしの中に大きな変化が生まれたのは事実です。4年間続いた、一時は終わりの見えない、永遠に続くのではないかと思っていた、拒食と過食の日々。孤独な闘いの最中、わたしはハル子と出会いました。あの小鳥と出会って、インフルエンザと肺炎で心細い思いをした一か月の後、わたしの中で、少しずつ、でも確実に何かが変わっていきました。いい方向へ。
そして今この家にいるすべての小鳥たちが、今もわたしの心の、大きな支えになってくれています。
わたしは決していい飼い主ではありません。でも小鳥たちと暮らす穏やかな生活は、わたしにとってかげがえのないものです。物言わぬ小鳥たちから、わたしは食べることの意味を教わりました。ハル子からはそれ以上に、無償の愛情をたくさん貰いました。わたしがハル子に与えた以上に、わたしはあの小鳥から、数えきれないものを貰いました。
2011年の夏、ハル子は大ちゃんとわたしが見守る中、天国へ旅立ちました。
ハル子はいってしまったけれど、わたしがハル子から貰ったたくさんのもの、愛情や、やさしさや、強さ。そういったもの全てが今もわたしの中に残り、わたしを生かして、わたしを陽の当たる場所へ導いてくれているような気がします。
心に残るハル子との思い出は、今も色あせることなく、鮮明なままです。
小鳥に憧れるなんて変なことかも知れません。
でもわたしは、感情の赴くままに、素直に生きたハル子という小鳥に、ずっと憧れ続けたのです。